Sunday, November 20, 2016

エドッコのお遍路 2巡目 第2回区切り打ち 04/12/2016

長いことブログを休みました。

なぜかEメールで通知の来る他の方のブログも大分減り、刺激がなくなったのも一因ですが、これは言い訳ですね。

去年の阿波路でもさらに書きたいところから頓挫していますが、入りやすい今年の2日目から始めます。





「ホテル土佐路・たかす」では朝食がつくのでしっかりいただきました。さて今日の押さえておかなければならないキーポイントは、前回夏の定期運航休止で乗れなかった「高知県営フェリー・種崎渡し船」です。予定では12:10発に乗りたい。

ホテルは遍路道から少し東に外れているので「牧野植物園」に上がる地点まで田園の中の農道を歩きます。そして上りだす近辺に「松村神社」というのがあり、ここを通って遍路道に合流したいと色気を出したのが運の尽き。



神社への道を曲がったところでおばぁちゃんがいたので「上の神社を通っても遍路道に続きますよね」と尋ねると、「そうですよ」との答え。神社に来て神さまにこれからの遍路の安全を祈りその脇をさらに登っていきますが、誰も来たと事がないであろう朽ち果てたミニ(マイクロ)八十八ヶ所はあるものの、たった2、3ヶ所やっと道と思われるところを上ったがそれもついに完全に消えているのです。



やむなく神社へ引き返し、神社の反対側の道を取って進んだら本来の遍路道にたどり着きました。下手な色気を出してとんだ時間のロス。

どんどん上ると植物園に入ります。この広大な牧野富太郎が築いた植物園は正規に入園しようとすると結構なお値段がしますが、裏から入るお遍路さんだけは無料。ただし園内を回遊することはできず、メインの通路を抜け、正面入り口の脇のトイレの裏に回り、園外へ出る方向だけのゲートを開けて外に出ます。



今回は正しく仁王門から31番五台山竹林寺へ入りました。このお寺は確か土佐の国では唯一立派な五重塔があるところです。しっかりお参りし、苔生す参道を通って下田川へと下っていきます。

しかしです。渡し船の時間までに全てをチャンチャンチャンと運びたいのに、下りる石段で同年輩らしきお遍路さんに捕まってしまいました。この方はアメリカ旅行にも何度か行ったらしく、ハリウッド映画「オクラホマ」に出てくる蒸気機関車の時代には既に中西部で獲れた農産物を氷を詰めた貨車で東側に運んでいたとか、よって既に「コールドチェーン」が確立していたとか、映画以外に経済のこともヤケに詳しいのです。



なんだかんだでその場で長話となり、再度、余計に時間を割いてしまって心は焦るばっかりです。

今回は季節がら藪蚊はまだ出ておらず、下田川南側の遍路専用道を通り、前回訪問した武市半平太の実家はパスし、石土池の脇を通り、32番禅師峰寺の歩き専用道で上がっていきます。



禅師峰寺も滞りなくお参りし、今度は下りるのに楽な車道を下って種崎渡船場へと向かいます。前回は真夏でしかも晴天、浦戸大橋まで14号線を歩きましたが、まだ昼前なのに、暑くて、暑くて、地獄道と化し、日陰を探しては休んでいました。

今回はそれより数本北の地図では車道ですが歩き専用の道を歩きます。途中、376号線のバイパスはその下を通る歩行者専用のトンネルを通過しました。ただこのトンネルは近づいてきてもそれと分からず、遍路専用の案内板もなく、かなりのお遍路さんが左に回り広い376線の横断歩道を渡るようです。



一方通行もある細く寂しい住宅街を通り抜けると、少し賑やかな道になります。渡し船に乗る前に昼の弁当をどこかで買わなければなりませんが、遍路地図では「サンシャイン三里」というスーパーがありますが、今まで地図上名の通ったスーパーじゃないと規模が小さく、個人商店の少し大きいものが多く、予定ではその先のマルナカを考えていました。しかし「サンシャイン三里」の前に来ると車の出入りが激しい大きなスーパーです。

それではここで今日の昼の弁当と、今日の歩きの終りは種間寺なので、周りには弁当など売っている商店はまったくなく、今日の晩御飯と明日の朝食まで全部買おうと中に入りました。

かなり広いスーパーで、弁当のコーナーがどっちか全然分からない。年配の爺さんにどこか聞くと「あっち」だと言う。行ってみると寿司系の弁当ばかり。周りを見ると魚介類専門のセクションで、また店員のおばちゃんに一般の弁当はどこだと聞いたら案内してくれ今度は正しいものを見つけました。

なんだかんだで結構な量を買い込み、パンパンのリュックには入りません。やむなく種間寺まで杖とは反対の手に下げて歩くことになります。すぐにスーパーマルナカが出てきましたが、この地に限っては手前の「ミサト」の方がずっと流行っているようです。

しかし、渡船場まで何分かかるか見当がつかず、心は焦って自然に早足になります。船着き場にやっとのことでたどり着くと、まだ5分か10分早く着いたようです。ただ高い防潮堤とフェリー乗り場は鉄のゲートで浦戸湾の眺めは全然ありません。

待合室にはおばちゃん3人がすでに待っており、続けて若い歩きお遍路さん、そして別のおばちゃんとおじさんが入ってきました。自然といつもの通り若いお遍路さんと情報の交換やどこから来たのの話になります。

そしてフェリー(渡し船)が到着。皆ドドッと乗り込みます。快晴までいかないが晴れて浦戸湾横断は気持ちのいいものとなりました。前回は真夏の暑い日、長~く、高~く、車の交通が激しいのに柵もない体裁程の歩道の浦戸大橋を歩いたので、天国と地獄の感があります。

フェリーを下りてしばらく歩くと33番雪蹊寺に到着。ここは長宗我部元親の菩提寺だそうで、八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院でもあります。

境内のベンチで昼食の弁当を広げ食べますが、フェリーで同乗の若いお遍路さんも含め歩きお遍路さんとはひとりも会えませんでした。



雪蹊寺を後にして、運河っぽい新川川を左にして278号線を歩いていると、自動車修理店の前で珍しい懐かしい自家用車が目に入りました。なんとトヨタパブリカではありませんか。1965年前後、私が学生の頃親も乗っていましたが、50年も経っているのに現役なのは奇跡に近いです。

道は農業地帯へと進み、遠く近くと低い山々の間を抜け1時間半ほどで34番種間寺に着きました。



種間寺では、6年前にお遍路を初めてからの最初のチャレンジ、寺の通夜堂に無料で泊めさせてもらいます。

一通りのお参りを済ませ納経所に行って通夜堂での宿泊を申し込むと、納経所の人がさっき若い人が来たが3時以降に戻ってこいと言ってあるので、その人も呼んできてくださいとのことで、探しにいくと案の定フェリーで会ったあの若い人でした。



最終的に今日の宿泊はその若い人とのふたりだけ。通夜堂は通りに近い寺のガレージの終端にあり、入ってみると広い! 布団を続けて敷くと8人分もあり、さらにシーツをかけたきれいな布団まで用意されている。さらにさらに、他では絶対にないだろうお湯の出るシャワー室まであります。ただトイレだけは近くになく、数十メートル離れた寺の共同トイレに行かなければなりません。

同室の若い彼氏、夜の9時頃トイレへ出ていきましたが、途中もトイレも真っ暗でお寺の境内と言うこともあり、ブルッて帰ってきました。

それでも、シャワーを浴びてきれいな暖かい布団の中で寝られて、無料としてはこの上ない最高の睡眠となりました。

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