Wednesday, November 23, 2016

エドッコのお遍路 2巡目 第2回区切り打ち 04/13/2016

遍路歴最初の通夜堂デビューがここ種間寺だったので今後が心配ですが、今回はもう一カ所、40番観自在寺の通夜堂を予定しています。そこはただの小屋でトイレは隣接しているものの、板の間に自分で持ってきたマットと寝袋で寝なければなりません。これが本来の通夜堂なのですが。

それで今回は東京へ着いてすぐ、御徒町のモンベルにオンラインでオーダーした寝袋とスリーピングマットを取りに行きました。池袋のモンベルは免税店だそうですが、1,400円をセーブするために往復600円の電車賃と平日の夕刻ラッシュアワーと戦く元気もなく、御徒町店で妥協しました。

前出のように種間寺通夜堂での朝は清々しく、時差ボケも気にならず、元気に起きて無料宿泊のマナーである、入る前と同じような状態にするべく、心を込めて清掃しました。若い彼氏は清掃の後すぐに出ていきましたが、私も山門のない山門方向に向かって、合掌し大師法号を唱えます。



さぁ、遍路3日目の出発です。天気は昨日と打って変わって曇り。でも4月中旬の朝は全然寒くないです。途中、道は狭いのに出勤時間のため車が多いです。小学生が数人集合箇所に向かって歩いているので車の心配をしながらその後をつけます。

先の集合箇所ではかなりの人数が集まっており、ここからスクールバスに乗って学校へ行くのでしょうか。楽しそうに集う元気な子供たちから元気をいただきます。


しばらくして仁淀川大橋に着き幅の広い歩道部分を渡っていると、ここでも向かいから自転車に乗った沢山の中学生らとすれ違います。

渡り終り右に回って土手の上を北に向かいます。土手から左に下りる箇所はふたつありますが、道標はどこにもなく、今回は先の方を下ります。しかし地図とは違いちょっと手前で下りてしまったようです。



しかし、56号線の下を潜る通路は見つかりそこを通り抜けます。

土佐市高岡の住宅街を抜けると再度56号線に出ますが、街道を渡ると「土佐市観光・笹岡ハイヤー」という事務所があり、ここでリュックを預からしてもらえると聞いていたので、寄って参拝道具を除き全てを置かせてもらいました。



次の35番清瀧寺は結構高いところにあり、田んぼ道を過ぎて高速を潜るとどんどんと上りになります。また歩き遍路だけが寺の山門(仁王門)を通れるような道順になっています。



ここ清瀧寺には特別な高さ15mもある「厄除け薬師如来立像」があり、今回は心に余裕があり、台座の中の88段戒壇巡りを試みました。

入ると中は真っ暗で狭く、人が一人通れるだけの高さと幅です。しかも気持ち下がるような上がるような上下差があるのに、何も見えません。だんだん不安になりだした頃に出口が見えてきました。なんか、不思議な体験です。





さて、清瀧寺をあとにして山を下ります。笹岡ハイヤーでリュックを引き取り、厚くお礼を申し上げて高岡の中心地にへと向かいます。

お昼は前回も来たベイカリー・イワゴーに決めていたので、そのベイカリー兼レストランの前まで来るとオーナーだかチーフシェフだかが向かい入れてくれました。ここはいろいろな種類のスパゲティーを出します。私はナントヤラと言う貝入りのスパゲティーをオーダーしました。

日本では概してアメリカのパスタ料理と味がかなり違います。ここのイワゴーさんは比較的さっぱり系。アメリカや関東から来た人間にはちょっと物足りないかも知れません。私のは貝の風味でおいしくいただきましたけど。




さ~て、腹もくちくなったところで午後ももうひと頑張りしなければなりません。今晩は36番青龍寺の先の「国民宿舎・土佐」に泊まりますが、途中、塚地峠という峠越えが控えています。

町中から水路沿いに住宅街を斜めに突っ切り、39号線に入ってから単調な道を南へと進むと大師の泉公園が出てきます。そこには休憩所、水車のある池、共同トイレがあり一休みします。

そして峠へと上っていきます。それほど高い峠ではありませんが、今回最初の峠越えです。ピークでは宇佐湾と宇佐大橋を見わたせますが、それほど感激するほどのものでもないのと、今回は木が高く茂り遠方が見にくいこともあって立ち止まらずに峠を下り始めました。

山を下りきりハウスの間を抜けていくと宇佐湾に出ます。今回の国民宿舎では素泊り、しかも1泊2,700円で6人相部屋のドミトリーという部屋を予約したので、夕飯と明日の朝食をどこかで調達しなければなりません。

運よく最近宇佐大橋の手前にファミマが開店したので、ここでいろんなものを買い込みました。以前と比較すると四国の田舎にもコンビニが増えました。おかげで、無料ないし低額で泊まるれるところに泊まり、コンビニ等で安い食事を買うパターンを繋げて安く旅ができるようになりました。

欄干が低く歩くとちょっと怖い宇佐大橋を渡り切り、青龍寺へと足が進みます。

青龍寺の納経所は長い階段の下にあり、本堂、大師堂は上で、国民宿舎への道は上から横に入っていくので、納経を先にいただきリュックを背負ったまま階段を上がります。

国民宿舎はさらに高い所にあるので、本堂、大師堂のお参りを済ませ、右方向へ一旦少し下がりますが、すぐに、岩ゴツゴツの道を上がっていかなければなりません。本日最後の最後で過酷な試練が待っています。上がっていると上から何も持たないおじさんと見るには若い人が下ってきました。挨拶だけしましたが、あとで同室の人と分かりました。

国民宿舎・土佐は歩き遍路の経験のある方がオーナーらしく、低経費で歩いているお遍路さんや同室の人のようにサイクリングで回っている人の為に、観光で泊まる人の豪華な部屋とは別に、安く泊まれる部屋を用意してくれているそうです。

これら安い部屋の客も大浴場や露天風呂に入れます。

私はコンビニで夕飯の弁当を買ってきましたが、前日に続き冷えた弁当では侘しくなり、宿舎の食堂で夕飯を取ることにしました。

オーダーしたのは950円だかの天丼。テーブルに運ばれた天丼を見ると天ぷらに天丼のつゆがかかっていないように見える。そのことをウエイトレスに言うと、つゆはかかっていますが、さらに追加のつゆをお持ちしましょうと持ってきてくれました。

しかしそのつゆを見て驚き。これはただの天つゆではありませんか。天ぷらが単体で出た時のつゆです。これは天丼のつゆじゃないと文句を言ったのですが、これがそうですときっぱりと言い返されました。

天丼の天ぷらには甘辛く味も色も濃いつゆがかかり、それがカツ丼や親子丼のようにご飯にまで浸みて丼を美味しくいただけるのです。ここの料理人は丼ものの作り方を知らないのかと不満たらたらに天丼を食べました。

でも待てよ、ここは関東ではない。もしかしたら関西人はこんなに薄味の天丼を食べているのかとの考えが出てきました。そうだとすると、関西人は天丼の本当の美味しさを知らないのではないかと。

Sunday, November 20, 2016

エドッコのお遍路 2巡目 第2回区切り打ち 04/12/2016

長いことブログを休みました。

なぜかEメールで通知の来る他の方のブログも大分減り、刺激がなくなったのも一因ですが、これは言い訳ですね。

去年の阿波路でもさらに書きたいところから頓挫していますが、入りやすい今年の2日目から始めます。





「ホテル土佐路・たかす」では朝食がつくのでしっかりいただきました。さて今日の押さえておかなければならないキーポイントは、前回夏の定期運航休止で乗れなかった「高知県営フェリー・種崎渡し船」です。予定では12:10発に乗りたい。

ホテルは遍路道から少し東に外れているので「牧野植物園」に上がる地点まで田園の中の農道を歩きます。そして上りだす近辺に「松村神社」というのがあり、ここを通って遍路道に合流したいと色気を出したのが運の尽き。



神社への道を曲がったところでおばぁちゃんがいたので「上の神社を通っても遍路道に続きますよね」と尋ねると、「そうですよ」との答え。神社に来て神さまにこれからの遍路の安全を祈りその脇をさらに登っていきますが、誰も来たと事がないであろう朽ち果てたミニ(マイクロ)八十八ヶ所はあるものの、たった2、3ヶ所やっと道と思われるところを上ったがそれもついに完全に消えているのです。



やむなく神社へ引き返し、神社の反対側の道を取って進んだら本来の遍路道にたどり着きました。下手な色気を出してとんだ時間のロス。

どんどん上ると植物園に入ります。この広大な牧野富太郎が築いた植物園は正規に入園しようとすると結構なお値段がしますが、裏から入るお遍路さんだけは無料。ただし園内を回遊することはできず、メインの通路を抜け、正面入り口の脇のトイレの裏に回り、園外へ出る方向だけのゲートを開けて外に出ます。



今回は正しく仁王門から31番五台山竹林寺へ入りました。このお寺は確か土佐の国では唯一立派な五重塔があるところです。しっかりお参りし、苔生す参道を通って下田川へと下っていきます。

しかしです。渡し船の時間までに全てをチャンチャンチャンと運びたいのに、下りる石段で同年輩らしきお遍路さんに捕まってしまいました。この方はアメリカ旅行にも何度か行ったらしく、ハリウッド映画「オクラホマ」に出てくる蒸気機関車の時代には既に中西部で獲れた農産物を氷を詰めた貨車で東側に運んでいたとか、よって既に「コールドチェーン」が確立していたとか、映画以外に経済のこともヤケに詳しいのです。



なんだかんだでその場で長話となり、再度、余計に時間を割いてしまって心は焦るばっかりです。

今回は季節がら藪蚊はまだ出ておらず、下田川南側の遍路専用道を通り、前回訪問した武市半平太の実家はパスし、石土池の脇を通り、32番禅師峰寺の歩き専用道で上がっていきます。



禅師峰寺も滞りなくお参りし、今度は下りるのに楽な車道を下って種崎渡船場へと向かいます。前回は真夏でしかも晴天、浦戸大橋まで14号線を歩きましたが、まだ昼前なのに、暑くて、暑くて、地獄道と化し、日陰を探しては休んでいました。

今回はそれより数本北の地図では車道ですが歩き専用の道を歩きます。途中、376号線のバイパスはその下を通る歩行者専用のトンネルを通過しました。ただこのトンネルは近づいてきてもそれと分からず、遍路専用の案内板もなく、かなりのお遍路さんが左に回り広い376線の横断歩道を渡るようです。



一方通行もある細く寂しい住宅街を通り抜けると、少し賑やかな道になります。渡し船に乗る前に昼の弁当をどこかで買わなければなりませんが、遍路地図では「サンシャイン三里」というスーパーがありますが、今まで地図上名の通ったスーパーじゃないと規模が小さく、個人商店の少し大きいものが多く、予定ではその先のマルナカを考えていました。しかし「サンシャイン三里」の前に来ると車の出入りが激しい大きなスーパーです。

それではここで今日の昼の弁当と、今日の歩きの終りは種間寺なので、周りには弁当など売っている商店はまったくなく、今日の晩御飯と明日の朝食まで全部買おうと中に入りました。

かなり広いスーパーで、弁当のコーナーがどっちか全然分からない。年配の爺さんにどこか聞くと「あっち」だと言う。行ってみると寿司系の弁当ばかり。周りを見ると魚介類専門のセクションで、また店員のおばちゃんに一般の弁当はどこだと聞いたら案内してくれ今度は正しいものを見つけました。

なんだかんだで結構な量を買い込み、パンパンのリュックには入りません。やむなく種間寺まで杖とは反対の手に下げて歩くことになります。すぐにスーパーマルナカが出てきましたが、この地に限っては手前の「ミサト」の方がずっと流行っているようです。

しかし、渡船場まで何分かかるか見当がつかず、心は焦って自然に早足になります。船着き場にやっとのことでたどり着くと、まだ5分か10分早く着いたようです。ただ高い防潮堤とフェリー乗り場は鉄のゲートで浦戸湾の眺めは全然ありません。

待合室にはおばちゃん3人がすでに待っており、続けて若い歩きお遍路さん、そして別のおばちゃんとおじさんが入ってきました。自然といつもの通り若いお遍路さんと情報の交換やどこから来たのの話になります。

そしてフェリー(渡し船)が到着。皆ドドッと乗り込みます。快晴までいかないが晴れて浦戸湾横断は気持ちのいいものとなりました。前回は真夏の暑い日、長~く、高~く、車の交通が激しいのに柵もない体裁程の歩道の浦戸大橋を歩いたので、天国と地獄の感があります。

フェリーを下りてしばらく歩くと33番雪蹊寺に到着。ここは長宗我部元親の菩提寺だそうで、八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院でもあります。

境内のベンチで昼食の弁当を広げ食べますが、フェリーで同乗の若いお遍路さんも含め歩きお遍路さんとはひとりも会えませんでした。



雪蹊寺を後にして、運河っぽい新川川を左にして278号線を歩いていると、自動車修理店の前で珍しい懐かしい自家用車が目に入りました。なんとトヨタパブリカではありませんか。1965年前後、私が学生の頃親も乗っていましたが、50年も経っているのに現役なのは奇跡に近いです。

道は農業地帯へと進み、遠く近くと低い山々の間を抜け1時間半ほどで34番種間寺に着きました。



種間寺では、6年前にお遍路を初めてからの最初のチャレンジ、寺の通夜堂に無料で泊めさせてもらいます。

一通りのお参りを済ませ納経所に行って通夜堂での宿泊を申し込むと、納経所の人がさっき若い人が来たが3時以降に戻ってこいと言ってあるので、その人も呼んできてくださいとのことで、探しにいくと案の定フェリーで会ったあの若い人でした。



最終的に今日の宿泊はその若い人とのふたりだけ。通夜堂は通りに近い寺のガレージの終端にあり、入ってみると広い! 布団を続けて敷くと8人分もあり、さらにシーツをかけたきれいな布団まで用意されている。さらにさらに、他では絶対にないだろうお湯の出るシャワー室まであります。ただトイレだけは近くになく、数十メートル離れた寺の共同トイレに行かなければなりません。

同室の若い彼氏、夜の9時頃トイレへ出ていきましたが、途中もトイレも真っ暗でお寺の境内と言うこともあり、ブルッて帰ってきました。

それでも、シャワーを浴びてきれいな暖かい布団の中で寝られて、無料としてはこの上ない最高の睡眠となりました。