宿: すだち館
距離: 約 16.5㎞
グーグルマップ上の軌跡: 遍路ころがし
朝の7時頃、旅館吉野を発ちます。藤井寺まではそこそこの距離がありますね。さぁ、いよいよ遍路ころがしに挑戦です。やはり真夏と違って前2日は調子よく歩けたので、焼山寺への登り口もスタスタと上がり始めます。いきなりの急坂なのですが、息もさほど切れません。
下から二人連れの男の声が聞こえてきましたが、歳は近くに見えるのに私より速いのですぐ追い越されます。そのうち前方に中年のご夫婦が見えてきました。それでもスピードは似たり寄ったりで、しばらく私は彼らの後ろをあるく体制になりました。
そうこうしているうちに、そのご夫婦が1人のおじさんと話しています。話に参加してみると、そのおじさんは地元の人らしく、ボランティアでガイドみたいなことをしていました。勿論いろいろ詳しく、話もウイットに富んでいます。
長戸庵を過ぎて、さらに進みます。焼山寺まで距離にして半分ぐらいになるでしょうか、柳水庵に着きました。すでに着かれていた方が数人。私と前後して数人、さらに休んでいるうちにまた数人と、初夏のお遍路さんが一同に会するような場所ですが、先の方は先に発ち、私も湧水を補給し、用を足して、これからさらに厳しい道へと進みます。
一旦車道に出て、少ししたところからまた山道を上がっていきますが、ここらあたりでポンチョを着けないといけないくらいの雨になりました。4、5人が同時に雨具を着けだします。私の勘で「雨具を着けると止んじゃうんだよな」と言ったら、皆聞いたのか無視したのか、それから差ほどしないうちに止みだすではありませんか。こうなると、暑くて着ていられなくなるので、私は一旦脱いで半分に折り、肩にかけます。この方法、結構涼しくて、腰から下はレインチャップで守られているのでパラパラ降りのときは非常に快適です。勿論、頭から首筋までは菅笠がカバーしてくれています。
そして、次に来る車道を跨ぐとさらに道は急坂となります。沖縄のある寺のご住職だかの坊さんと抜きつ抜かれつの競争になり、気が付いて見上げると、どでかい杉の前でお大師さんがこちらを見ています。ここが浄蓮庵(一本杉庵)です。時間と天候によりお大師さんが荘厳に見えるときもあるそうですが、私の時はそれほどでもありませんでした。
標高745mの浄蓮庵を後にすると、道は左右内(そうち)集落に向かって急な下り坂となります。人気のない左右内村を抜け、きれいな谷川のせせらぎを超えると最後の急坂を登り出します。もうここまで来ると、疲れたの何のと言っていられなくなり、頭は空っぽ、無心で上り続けます。面白いことに、息はゼイゼイ、心臓はバクバクなんですが、普段なら息を整えるため歩くのを止めるところ、ゼイゼイ、バクバク、のまま足は急な階段上の道をどんどん上がっていくのです。こんな経験初めてです。
ようやっと、焼山寺の駐車場が見えてきました。「やったぜ、ベイビー」(古るッ)ってな感激です。午後2時頃で腹ペコ。駐車場から参道への階段のところで腰を下ろして、弁当を開け、旅館吉野でいただいたお結びにかじりつきました。そこへバスの団体さんを引き連れた先達さんが私の顔を見て、藤井寺を何時に出ましたか、と聞くので、7時過ぎぐらいでしょうか、と答えると、団体さんに向かって、「皆さんはバスでスーッとここまで来られましたが、歩き遍路さんは朝7時に藤井寺を出て、厳しい「遍路ころがし」を上がってこられ、今着いたそうです。」と説明されていました。あぁ、この先達さんは歩き遍路の楽しさと苦しさを十分知っている人だな、と尊敬の念で見てしまいました。
すでに陽も覗かせる焼山寺の参拝と納経も無事に終わり、あとは 3.5㎞、460m下の鍋岩まで下りるだけです。とは言うものの、ここまでで精根尽き果たしているので、下りも侮れません。この下りで怪我や体を痛める人も多いのです。以前に言われていたので、今晩泊まる「すだち館」に、今焼山寺を発ちます、と電話を入れました。
今回も、アメリカから普段使っているスマホを持ってきて、こちらで借りたポケットWi-Fiと連動し、通話は全て Skype でかけています。Y!Mobile の GL10P というセットですが、こんな山奥でも支障なく使えています。
さて下りですが、降りるステップは膝のバネを利用し、膝に無理なショックがかからないように、とよく言われますが、これまでで足腰の疲労も極限に達しているので、思うように膝も動いてくれません。ですので、ゆっくり慎重に慎重に下ってゆきます。前回はどの道を通ったか全然記憶にないので、そこにも気を使います。
途中、伝説の、衛門三郎が最後の最後で弘法大師に会え、許しを請いだ、とされる「杖杉庵」に立ち寄りました。この庵はしっかりした休憩所でもあり、前出の沖縄から来たお坊さんはここで野宿したそうです。
前回はこの杖杉庵も見えず、車道を下りてしまいましたが、今回はその小さな駐車場の脇の遍路道を下りて行きました。ここから鍋岩までも長かったです。
すだち館の表は道路沿いにある土産屋で、入るとオーナーのおばぁちゃんがいました。ここは神山温泉への送迎付き、朝夕食付き、相部屋で4000円です。ここの宿泊所は通りの向かいをちょっと下りたところにあり、 ご主人が先に来たお客を温泉に送っているので、宿舎に荷物を置いて戻ってこいとのこと。
また、土産屋の向かいは大きな駐車場で、大型バスが来た場合ここで止めて、乗客はマイクロバスに乗り換え焼山寺に上がります。たまたまこの日は団体客が多かったそうで、土産屋が手伝いのおばちゃんも含め大忙し。結局夕飯の支度ができず、我々には宿代を1000円安くし、夕食は神山温泉で取ってくれとなりました。
そうこうしているうちに、ご主人のおじいちゃんが返ってきて、私ともう一人の方ふたりが今度は神山温泉へ。温泉までは 6.5㎞ あり、車でも結構な時間乗っていました。温泉では1000円分の夕飯を食えるのですが、私はご飯とおかずの食事は食いたくなく、720円だかのカレーうどんにしました。帳尻は少し得したことに。
温泉は熊谷寺手前の越久田屋さんが連れて行ってくれた日帰り温泉と同じようなところで、地元の方たちと一緒にゆっくり浸かりました。湯の中で隣の人がここへ一緒に来た人かと思って話しかけたら、地元の方で、徳島市内から来たそうで、距離は結構あるが、信号がほとんどなく短時間で来れる、てなことを言っていました。
宿に戻ると相部屋の人は目のギョロッとした足の速い方でした。焼山寺の登でも何度か会話を交わしたので、全然違和感もなくいろいろダベリました。2段ベッドの選択で、彼がすでに下の段に座って荷物の整理をしていたので、自動的に私は上の段へ。ゴロゴロ寝返りをうてば落ちる恐れもありますが、毎晩極度に疲れるので、爆睡になってしまいました。
朝の7時頃、旅館吉野を発ちます。藤井寺まではそこそこの距離がありますね。さぁ、いよいよ遍路ころがしに挑戦です。やはり真夏と違って前2日は調子よく歩けたので、焼山寺への登り口もスタスタと上がり始めます。いきなりの急坂なのですが、息もさほど切れません。
下から二人連れの男の声が聞こえてきましたが、歳は近くに見えるのに私より速いのですぐ追い越されます。そのうち前方に中年のご夫婦が見えてきました。それでもスピードは似たり寄ったりで、しばらく私は彼らの後ろをあるく体制になりました。
そうこうしているうちに、そのご夫婦が1人のおじさんと話しています。話に参加してみると、そのおじさんは地元の人らしく、ボランティアでガイドみたいなことをしていました。勿論いろいろ詳しく、話もウイットに富んでいます。
長戸庵を過ぎて、さらに進みます。焼山寺まで距離にして半分ぐらいになるでしょうか、柳水庵に着きました。すでに着かれていた方が数人。私と前後して数人、さらに休んでいるうちにまた数人と、初夏のお遍路さんが一同に会するような場所ですが、先の方は先に発ち、私も湧水を補給し、用を足して、これからさらに厳しい道へと進みます。
一旦車道に出て、少ししたところからまた山道を上がっていきますが、ここらあたりでポンチョを着けないといけないくらいの雨になりました。4、5人が同時に雨具を着けだします。私の勘で「雨具を着けると止んじゃうんだよな」と言ったら、皆聞いたのか無視したのか、それから差ほどしないうちに止みだすではありませんか。こうなると、暑くて着ていられなくなるので、私は一旦脱いで半分に折り、肩にかけます。この方法、結構涼しくて、腰から下はレインチャップで守られているのでパラパラ降りのときは非常に快適です。勿論、頭から首筋までは菅笠がカバーしてくれています。
そして、次に来る車道を跨ぐとさらに道は急坂となります。沖縄のある寺のご住職だかの坊さんと抜きつ抜かれつの競争になり、気が付いて見上げると、どでかい杉の前でお大師さんがこちらを見ています。ここが浄蓮庵(一本杉庵)です。時間と天候によりお大師さんが荘厳に見えるときもあるそうですが、私の時はそれほどでもありませんでした。
標高745mの浄蓮庵を後にすると、道は左右内(そうち)集落に向かって急な下り坂となります。人気のない左右内村を抜け、きれいな谷川のせせらぎを超えると最後の急坂を登り出します。もうここまで来ると、疲れたの何のと言っていられなくなり、頭は空っぽ、無心で上り続けます。面白いことに、息はゼイゼイ、心臓はバクバクなんですが、普段なら息を整えるため歩くのを止めるところ、ゼイゼイ、バクバク、のまま足は急な階段上の道をどんどん上がっていくのです。こんな経験初めてです。
ようやっと、焼山寺の駐車場が見えてきました。「やったぜ、ベイビー」(古るッ)ってな感激です。午後2時頃で腹ペコ。駐車場から参道への階段のところで腰を下ろして、弁当を開け、旅館吉野でいただいたお結びにかじりつきました。そこへバスの団体さんを引き連れた先達さんが私の顔を見て、藤井寺を何時に出ましたか、と聞くので、7時過ぎぐらいでしょうか、と答えると、団体さんに向かって、「皆さんはバスでスーッとここまで来られましたが、歩き遍路さんは朝7時に藤井寺を出て、厳しい「遍路ころがし」を上がってこられ、今着いたそうです。」と説明されていました。あぁ、この先達さんは歩き遍路の楽しさと苦しさを十分知っている人だな、と尊敬の念で見てしまいました。
すでに陽も覗かせる焼山寺の参拝と納経も無事に終わり、あとは 3.5㎞、460m下の鍋岩まで下りるだけです。とは言うものの、ここまでで精根尽き果たしているので、下りも侮れません。この下りで怪我や体を痛める人も多いのです。以前に言われていたので、今晩泊まる「すだち館」に、今焼山寺を発ちます、と電話を入れました。
今回も、アメリカから普段使っているスマホを持ってきて、こちらで借りたポケットWi-Fiと連動し、通話は全て Skype でかけています。Y!Mobile の GL10P というセットですが、こんな山奥でも支障なく使えています。
さて下りですが、降りるステップは膝のバネを利用し、膝に無理なショックがかからないように、とよく言われますが、これまでで足腰の疲労も極限に達しているので、思うように膝も動いてくれません。ですので、ゆっくり慎重に慎重に下ってゆきます。前回はどの道を通ったか全然記憶にないので、そこにも気を使います。
途中、伝説の、衛門三郎が最後の最後で弘法大師に会え、許しを請いだ、とされる「杖杉庵」に立ち寄りました。この庵はしっかりした休憩所でもあり、前出の沖縄から来たお坊さんはここで野宿したそうです。
前回はこの杖杉庵も見えず、車道を下りてしまいましたが、今回はその小さな駐車場の脇の遍路道を下りて行きました。ここから鍋岩までも長かったです。
すだち館の表は道路沿いにある土産屋で、入るとオーナーのおばぁちゃんがいました。ここは神山温泉への送迎付き、朝夕食付き、相部屋で4000円です。ここの宿泊所は通りの向かいをちょっと下りたところにあり、 ご主人が先に来たお客を温泉に送っているので、宿舎に荷物を置いて戻ってこいとのこと。
また、土産屋の向かいは大きな駐車場で、大型バスが来た場合ここで止めて、乗客はマイクロバスに乗り換え焼山寺に上がります。たまたまこの日は団体客が多かったそうで、土産屋が手伝いのおばちゃんも含め大忙し。結局夕飯の支度ができず、我々には宿代を1000円安くし、夕食は神山温泉で取ってくれとなりました。
そうこうしているうちに、ご主人のおじいちゃんが返ってきて、私ともう一人の方ふたりが今度は神山温泉へ。温泉までは 6.5㎞ あり、車でも結構な時間乗っていました。温泉では1000円分の夕飯を食えるのですが、私はご飯とおかずの食事は食いたくなく、720円だかのカレーうどんにしました。帳尻は少し得したことに。
温泉は熊谷寺手前の越久田屋さんが連れて行ってくれた日帰り温泉と同じようなところで、地元の方たちと一緒にゆっくり浸かりました。湯の中で隣の人がここへ一緒に来た人かと思って話しかけたら、地元の方で、徳島市内から来たそうで、距離は結構あるが、信号がほとんどなく短時間で来れる、てなことを言っていました。
宿に戻ると相部屋の人は目のギョロッとした足の速い方でした。焼山寺の登でも何度か会話を交わしたので、全然違和感もなくいろいろダベリました。2段ベッドの選択で、彼がすでに下の段に座って荷物の整理をしていたので、自動的に私は上の段へ。ゴロゴロ寝返りをうてば落ちる恐れもありますが、毎晩極度に疲れるので、爆睡になってしまいました。