Thursday, September 24, 2015

2巡目 第5日 05/16/2015

宿: 鮒の里
距離: 約 27km

グーグルマップ上の軌跡:おんやど松本屋~鮒の里

さて、今日は前回【酷道】55号線を通り辛い思いをしたので、55号線を徹底的に避け恩山寺に向かうルートを自分なりに作ったので、これを実行する日です。どこをどう歩いたのか興味のある人は、上記のリンクを開け地図をなぞって見てください。何ヵ所か面白いスポットも寄っています。


おんやど松本屋さんを確か朝7時前に出発したかな、松本屋さんでは朝食をしっかり取ったのですが、コンビニで温かいコーヒーを飲みたいと逆方向の井戸寺の裏を回り、すぐのローソンに入りました。そこでコーヒーとドーナッツを買い、歩きながらドーナッツをかじりコーヒーをすすり、また元の道に戻り、遍路地図通り南に向かいます。

田んぼの中を歩いているうちに、ポンチョを着なければならないほどの雨になり、民家の軒先を借りてポンチョを羽織ります。

道も交通の激しい192号線に出ます。この192号線、3日前に藤井寺に向かう途中鴨島あたりで横切っているんですよね。そして鮎喰川の大きい橋を渡ってすぐ右に折れ、地図のⒶのルートを取ります。

このルートはⒷより車の通行が少ないです。そして地蔵院池緑地の池を横から入るかたちになります。相変わらず池の周りには雨の中近所の年寄りが何人か集まっていました。その人たちと朝の挨拶を交わして、そこの大きな休憩所でポンチョを脱ぎリュックを降ろし、今日初めての休憩タイム。

さて、今日は雨で途中何が起きるか分からないので、ゆっくりもできず出発です。Ⓑと交わったところからほんの少しで左に「地蔵越遍路道」と言う石標があるので、この遍路道を入っていきます。この道は車道のショートカットですが、車道がつづら折りで上がっていくところ、真っ直ぐいくので坂は急です。でも晴れた日はいい散歩道なので、地元の人が結構集まっています。しかし今日は雨なので、人っ子一人いません。

この道がまた車道に出る間際はさらに急坂で、私は何を見間違えたのか、上がっているうちにロープの張ってある反対側に入ってしまい、落ち葉が分厚く覆いかぶさった斜面で足を取られながら這いつくばってやっとのことで登りました。結論から言うと雨の日は車道の方が無難だったかなと。

車道に出てすぐがここの峠で、下り出してちょっと行くと再度左にショートカットの遍路道がありますが、その手前の右に同程度の舗装の道が下に向かっています。この地点が遍路地図にはナイ遍路道の始まりです。

舗装の道をどんどん下ります。人も車も全然通りません。遍路地図の道もそうですが、下り切ったところに園瀬川があります。こちらの道も川の少し手前から集落が始まりますが、その民家が出だすところに、成田山不動尊四門寺があり、ここを今日の最初のお参りするお寺としました。


本堂大師堂のふたつはない小さな寺なので、灯明・線香のできるところで全ての参拝を済ませました。ちゃんとした来訪者用の便所もあるので、小の方を済ませます。ここらあたりで、ポンチョを脱いでもいいくらいのポツポツ雨になりました。


そして農家・民家の間をぬい、園瀬川の小さな潜水橋に向かいます。グーグルの地図とストリートビューでは、大きな畑を通ったところに潜水橋が見えてくるはずですが、その手前に大きな土手が隔たっています。グーグルの地図からも大きなバイパスを通す工事は進んでいるようでしたが、この土手は想定外です。


土手の一部に水路を通すようなトンネルがあったので、そこを抜けて河川側に出てみると、川自体完全に変更されていました。しようがない、またトンネルで元に戻ったところで軽トラに乗ったおっさんが見えたので、強引に止めて潜水橋のことを聞くと、潜水橋はまだアルような返事だが、川向うに渡るには少し下の大きな橋を渡れとの答え。多分潜水橋はもうナイものと判断、大きな橋へと向かいました。案の定、橋の上からは川の様子は全然違っていて潜水橋などありません。

期待して渡るはずだった園瀬川の潜水橋

さらに住宅地を進み、208号線が438号線にぶつかる交差点にまたローソンが出てきたので、アイスクリームバーを買い、また食べながら、交差点を渡ります。その先本来ならすぐ左の車道から「あづり峠」へ向かうのですが、正面の電気屋さんの脇に路地があり、そこにはめずらしく遍路道の案内標がありました。遍路の道標が期待していないところにあると心がホッとします。

その路地を辿るとすぐに先の交差点から続く車道に出ます。そして車道を少し歩くと今度は左側に遍路の道標があって、そこへ入ると田んぼの中の農道を進むようになります。その道も再度車道に戻り、どんどん進むと左側に高いビルの障害者支援施設「あおばの杜」があり、そこを通り過ぎた先からグーグルの地図の道は途切れます。


そしてそこが「あづり峠越え」の入り口でもあり、またもや遍路道標がありました。

たった標高100mほどの峠ですが、上りがどのくらい続くか見当がつかないので、上がっている間はやはりきついです。上り途中、近くの高校の有志らがこの道を整備したそうで、その行為が札に記されていましたが、だいぶ前の話のようで、今は草が道を覆い一部分かりにくいところもあります。


そうこうしているうちに、峠にたどり着きました。ただし、写真にあるようなものだけがあり、見晴らしもなく、ベンチ等も置いてありません。私は休みもせず今度は下っていきます。

下りの一部はどっちかなと思う分岐路もありますが、自分の勘で選ぶと合っていました。そしてさらに下りると、農家の納屋みたいものが出てきます。そこから見晴らしが開け、小松島市からさらに先の紀伊水道まで見えますが、晴れていれば更に素晴らしかったでしょう。


この道を下り切ると民家が出てきて、地蔵院東海寺を車で入れる道があり入っていきます。ここは神社とお寺があるはずですが、参拝しようにもどれがその建物か分からず、よりによってそこで飼っているだろう犬にギャンギャン吠えられて落ち着かず、退散するように今度は正面の石段を下り出てきました。


そこから農地・住宅地を抜け210号線に入ります。さらに少し進むと、右側に小っちゃなこんもりとした林が見えてきます。これが日本一の名所なのです。名は「弁天山」。何が日本一かと言うと、国土地理院の地図に載っている自然にできている山としては一番低い、たった6.1m、の山なのです。


記念すべき日本一の名峰の登頂に成功して、向かいの農作物展示即売場の休憩室で一服しました。

さらに恩山寺への道は続きます。210号線を進むと阿波室戸シーサイドラインの踏切に出ますが、その方向はどんどん55号線に近寄るので、踏切の手前を右の路地に入ります。

その路地を通り抜けると、また踏切があり渡ります。そして線路の反対側は田んぼなので四方を田んぼに囲まれながら歩きます。そこで面白いものを見ました。急行が徳島駅方面に走り去っていきましたが、なんと1輌なのです。各駅(普通)の1輌編成は普通に走っていますが、急行とは、さすが電化もされていない徳島県ではの光景です。

田んぼ道を歩き出すと、左が恩山寺と最新の遍路案内標があるので、それにつられ進んでみますが、何かおかしい、自分の計画とに抵抗がある、と感じてスマホを取り出し地図を見るとやはり手前の分岐点では右でした。

元に戻って先に進むと勝浦川の近くに出ます。そこには細長い小さな公園が道沿いにあり、ベンチも存在するのをサテライトビューで確認していたので、そのベンチでリュックをおろし、昼食としました。今日はお昼までに、園瀬川の潜水橋はありませんでしたが、その他数多くのスポットに寄れて大収穫です。お遍路ではお寺での参拝以外の楽しみもなくちゃね。

昼を済ませてこの日では初めての55号線をほんの僅かですが歩きます。まずは勝浦川の土手道に出て勝浦川橋に向かいます。やはり55号線は交通が激しく、橋の両側に信号もあり、車が数珠繋がりになっていました。

この橋の部分だけが遍路地図の遍路道と一緒です。私の専用道(!?)では橋を渡ったすぐに交差する16号線へと回ります。さらにほんのわずかで道は左に分かれ136号線を下りて行きます。そこからかなりの距離136号線を歩きます。


そのまま136号線を進むとまた55号線に出てしまうので、お酢製造の佐藤商店の前の農道を右に回ります。その農道を突き進むと33号線にぶつかります。そこで右に曲がり、すぐに右側に小学校の校庭が見えるので、その手前を左に入ります。

そしてその道を、最後の方で左に曲がっていますが、道なりに行くと正面にモダンな民家がポツンと出てくるので、左のさらに細い農道へと曲がり進むと正面に木の生い茂った丘程度の山が見えてきます。その突き当りのT字路を左。

道なりに左に運河(農業用水路)を見ながら進むと、右への農道が何本か出てきますが、再度右に曲がる農道は1軒目と2軒目の民家の間にある道で、そこを曲がる真っ直ぐ進むと、また、左右に分かれ3方向の角が墓地のT字路で、そこを左に曲がります。


ここまで来るとしめたもので、後は前出の木の生い茂った山を右に見ながら道をなぞっていくと18番恩山寺に出ることができます。その前に、上の墓地を曲がってちょっと行ったところに、史跡「弁慶の岩屋」と言うスポットがあります。まぁ、後で付けたような話でしょうが、地域の人が観光スポットとして押していることもあり、時間もまだあることだし、訪れてみました。とにかくこの地域は前出の「あづり越え」と言い源義経関連の名所が多く残されています。


そして道は遍路地図にある136号線に出ます。さらに136号線から恩山寺へ行く道に曲がると、「民宿ちば」さんが左に出てきますが、「民宿ちば」さんの前の道の反対側に歩き専用の遍路道があります。コンクリの壁と民家の玄関の間のこの入り口には何の案内もなく、その民家の裏庭に回るような細い道で、ほとんどの1巡目のお遍路さんは見逃してしまいますが、恩山寺参拝の前奏曲になるような意味のある道です。


そのように、民家の裏の人が通らないような草の生い茂った道を辿ると、恩山寺の山門が正面に出てきます。この山門、恩山寺が全然面倒を見ないのか朽ち果てていまして、他の寺の山門とは大違いですが、それが故、写真を撮る価値もまたあります。

山門を潜ると赤い欄干のある車道と同平面になりますが、歩き専用道はさらにその正面を進みます。途中、階段もある険しい登道ですが、すぐに恩山寺の大きな修行大師像の裏に出ます。このようにして急にお大師さんにお目にかかると結構大きいです。

井戸寺からここまでの距離は、遍路地図では約17㎞、自分なりにグーグル地図で作った距離は約20㎞、しかし、実際にスマホのアプリで辿った距離は約23㎞ありました。道に迷ったり、興味のある箇所に寄ったりしたので、長くなったのかもしれません。

恩山寺の参拝も無事に済ませ、車道を下りていくと歩き遍路案内は大きな牛舎の中に導かれます。そして竹藪の山道をどんどん下り、すだち農園の中を通りますが、今回は親切な道案内の札が所々に立っていました。また用水路を渡って車道に出る手前の民家の裏庭には必ずひとりのおじさんがいて、庭仕事をしながら「ご苦労さん」と労いの言葉をお遍路さんにかけてくれます。今回は近所の人と話をしていたのか、私の方を見て目で挨拶したようなので、私も手を振って返しました。

あとは136号線に戻り、住宅地、切通し、などの郊外の風景を抜けると「お京塚」が出てきます。現在はモダンな遍路休憩所ができていますが、前回荒れ放題の「お京塚」に寄ったのと休む必要もないので今回はパス。今晩の宿「鮒の里」が先に出てくるので、荷物を置いて19番立江寺に向かいます。

前回は真夏で立江寺もしっかりお参りしたのかの記憶もないので、今回は念入りにお参りをしました。



「鮒の里」に戻りましたが、すでに何人ものお遍路さんが夕飯を取っていました。2、3人は見慣れた顔ぶれも。お風呂をもらって夕飯に着くと、後からもうひとり、ふたりと参加者がいて、お宿は満室のようです。ここの大将、声が大きく話好きで、大賑わいでした。

Tuesday, September 8, 2015

2巡目 第4日 05/15/2015

宿: おんやど松本屋
距離: 約 28㎞

グーグルマップ上の軌跡: すだち館~おんやど松本屋


すだち館のお土産やの中で6、7人全員が同時に朝食をいただきました。それも頭に白髪が混じる野郎ばっか。お接待で、おにぎり、みかん、お菓子、すだちジュースの4点もいただきました。すごいサービスです。

出発時はひとりでしたが、玉ヶ峠に上がる登り口を入り、山肌の農家を抜け、さらに上がったあたりで同室の目ギョロさんと同道、さらにつづら折りの急坂の手前で、前日何度か会った沖縄から来られたご住職が休んでいました。

ご住職が「先に行ってください」と言うので、我々は急坂を上がり始めます。ここはミニ遍路ころがしでかなり急です。それでもなんとか頑張り峠にたどり着きました。そこの庵の縁側みたいなところで休んでいると、ご住職も上がってこられました。かれは過去に何度も回っておられ、最初は自転車でも回ったとか。昔の坊さんの修行には、多少の食料だけを積んで艪のない小舟で大海に放り出されることもあるとか。いろいろなお話を聞かせてくれました。


 玉ヶ峠(H450)からどんどん下り、最終的には鮎喰川の左岸、阿野の集落(H85)
に出るのですが、右に鮎喰川が見えるのに距離が長くなかなか下り切れません。やっとのことで阿野の交差点に来たところで、飲み物を買い、ベンチに座っている等身大の案山子のお隣で飲みながらゆっくり休みました。


そこから鮎喰川を渡り駒坂峠へ向かいます。ここは20号線が川に沿ってUの字に迂回しているところ、ショートカットをしますが、ちょっとした上りもありショートカットが楽とはなりません。再度川を渡る橋が車は通れない細い潜水橋になっています。以前は橋桁と橋桁の部分が木の板をのせてあるだけで、川が氾濫すると流されますが、ロープが付いていて、水位が戻るとロープを引っ張り、元に戻すようになっていました。しかし数年前に完全なコンクリートのものに作り替えられました。


その潜水橋からまた左岸を淡々と歩きます。そのうち右岸の21号線を歩く、神山温泉に泊まったであろうお遍路さんのふたりが見えてきました。神山温泉経由は玉ヶ峠を登らない分楽ですが、距離が1時間強長くなります。また鍋岩のふたつの宿を取れなかった人は前日に、さらに1時間近くかけて神山温泉まで歩かなければなりません。

20号と21号が近くなって両岸をそって走っているので、どちらを通っても最終的に13番大日寺に着くのですが、広野町あたりからは右岸の方が多少短いので、私も右岸へ渡ります。

そしてさらに進むと遍路休憩所「おやすみなし亭」があります。ここで私は靴と靴下を脱いで大休憩。多い時は前日から見たことのある人、ない人で6人ほどが休みました。まだ12時にはなっていませんが、早めにお昼を食べる人も。私はすだち館でもらったおにぎりがありますが、大日寺の横にうどん屋があるので、それを当てに食べません。

やっとのことで、この日最初の札所・大日寺に着きました。ここから立て続けにあと4軒の札所が連なり、午後5時前までに17番井戸寺まで行かなければなりません。5年前は暑さでまいって井戸寺に着いた時はすでに5時を過ぎていました。

大日寺のお参りを済ませ、ほぼ隣にあるうどん屋に入ったのですが、もぅ暑くて体がカッカするので、冷たいうどんを所望したら、まだ、メニューにはないとのこと、がっかりしてその店を出ました。

大日寺からは田んぼの間を通り、鮎喰川の一の宮橋を川のすぐ横から上がり渡ります。渡ってから14番常楽寺までは迷路のような住宅街を通り抜けます。

寺全体がごつごつした天然の岩盤の上に建っているような常楽寺を済ませ、次は15番国分寺。ここもどこから入ればいいのか迷います。ここは前回も含め長い間火災にあったか何かで大師堂の建物がなかったのですが、今回は新しい立派なものが建っていました。大日寺は国(県)とは関係なく徳島にも4番と13番にありますが、国分寺は国を治める中心的な寺なので、各国(県)にひとつだけです。

そして次は国府町の街中にある16番観音寺。


観音寺を打って、前の道を進み大きな大御和神社を左に曲がったところで、1台のワゴン車がいきなり人の前に止まりました。変なところで違法駐車する人だなぁと思っていたら、中から品の良さそうなご婦人が出てこられ、お接待としてゴルフボールよりちょっと大きい、トマトとしてはかなり小さいトマトをふたつくれるではありませんか。自分ちで育てたそうで、お遍路さんを見かけるとお接待をしているそうです。お礼として札所では出さない私自作の納め札を渡しました。


さて、道は繁華街をJR徳島線・府中(こう)駅の前あたりへと続き、少し東の29号線が踏切を渡り北へと向かいます。ただ夕方になりこの道は狭いのに車が多く、歩きにくかったので、今回は踏切を渡ってすぐ右に曲がり、またすぐ左に折れて、住宅街そして溝に蓋をしただけのような狭い道を通って井戸寺に向かいます。


そして今日最後の札所・井戸寺に着きました。すでに午後4時半頃で、前回よりずっと早く着けると思っていたので、予想が崩れました。道理で、かなりの人が手前の宿に泊まったようで、「おんやど松本屋」では私以外歩き遍路さんはもう一人だけでした。神山温泉で泊まった人を除き、鍋岩の2つの宿だけでも計15人ぐらいはいたはずなのに、28kmで峠越えもあったので、皆安全をみたのでしょうかね。

松本屋さんの夕食は2種類の揚げたてのカツが出たりして、普通の民宿の食事よりずうっと美味しかったです。

Monday, August 24, 2015

2巡目 第3日 05/14/2015

宿: すだち
距離: 約 16.5㎞


グーグルマップ上の軌跡: 遍路ころがし



朝の7時頃、旅館吉野を発ちます。藤井寺まではそこそこの距離がありますね。さぁ、いよいよ遍路ころがしに挑戦です。やはり真夏と違って前2日は調子よく歩けたので、焼山寺への登り口もスタスタと上がり始めます。いきなりの急坂なのですが、息もさほど切れません。

下から二人連れの男の声が聞こえてきましたが、歳は近くに見えるのに私より速いのですぐ追い越されます。そのうち前方に中年のご夫婦が見えてきました。それでもスピードは似たり寄ったりで、しばらく私は彼らの後ろをあるく体制になりました。

そうこうしているうちに、そのご夫婦が1人のおじさんと話しています。話に参加してみると、そのおじさんは地元の人らしく、ボランティアでガイドみたいなことをしていました。勿論いろいろ詳しく、話もウイットに富んでいます。

長戸庵を過ぎて、さらに進みます。焼山寺まで距離にして半分ぐらいになるでしょうか、柳水庵に着きました。すでに着かれていた方が数人。私と前後して数人、さらに休んでいるうちにまた数人と、初夏のお遍路さんが一同に会するような場所ですが、先の方は先に発ち、私も湧水を補給し、用を足して、これからさらに厳しい道へと進みます。

一旦車道に出て、少ししたところからまた山道を上がっていきますが、ここらあたりでポンチョを着けないといけないくらいの雨になりました。4、5人が同時に雨具を着けだします。私の勘で「雨具を着けると止んじゃうんだよな」と言ったら、皆聞いたのか無視したのか、それから差ほどしないうちに止みだすではありませんか。こうなると、暑くて着ていられなくなるので、私は一旦脱いで半分に折り、肩にかけます。この方法、結構涼しくて、腰から下はレインチャップで守られているのでパラパラ降りのときは非常に快適です。勿論、頭から首筋までは菅笠がカバーしてくれています。

そして、次に来る車道を跨ぐとさらに道は急坂となります。沖縄のある寺のご住職だかの坊さんと抜きつ抜かれつの競争になり、気が付いて見上げると、どでかい杉の前でお大師さんがこちらを見ています。ここが浄蓮庵(一本杉庵)です。時間と天候によりお大師さんが荘厳に見えるときもあるそうですが、私の時はそれほどでもありませんでした。

標高745mの浄蓮庵を後にすると、道は左右内(そうち)集落に向かって急な下り坂となります。人気のない左右内村を抜け、きれいな谷川のせせらぎを超えると最後の急坂を登り出します。もうここまで来ると、疲れたの何のと言っていられなくなり、頭は空っぽ、無心で上り続けます。面白いことに、息はゼイゼイ、心臓はバクバクなんですが、普段なら息を整えるため歩くのを止めるところ、ゼイゼイ、バクバク、のまま足は急な階段上の道をどんどん上がっていくのです。こんな経験初めてです。

ようやっと、焼山寺の駐車場が見えてきました。「やったぜ、ベイビー」(古るッ)ってな感激です。午後2時頃で腹ペコ。駐車場から参道への階段のところで腰を下ろして、弁当を開け、旅館吉野でいただいたお結びにかじりつきました。そこへバスの団体さんを引き連れた先達さんが私の顔を見て、藤井寺を何時に出ましたか、と聞くので、7時過ぎぐらいでしょうか、と答えると、団体さんに向かって、「皆さんはバスでスーッとここまで来られましたが、歩き遍路さんは朝7時に藤井寺を出て、厳しい「遍路ころがし」を上がってこられ、今着いたそうです。」と説明されていました。あぁ、この先達さんは歩き遍路の楽しさと苦しさを十分知っている人だな、と尊敬の念で見てしまいました。



すでに陽も覗かせる焼山寺の参拝と納経も無事に終わり、あとは 3.5㎞、460m下の鍋岩まで下りるだけです。とは言うものの、ここまでで精根尽き果たしているので、下りも侮れません。この下りで怪我や体を痛める人も多いのです。以前に言われていたので、今晩泊まる「すだち館」に、今焼山寺を発ちます、と電話を入れました。

今回も、アメリカから普段使っているスマホを持ってきて、こちらで借りたポケットWi-Fiと連動し、通話は全て Skype でかけています。Y!Mobile の GL10P というセットですが、こんな山奥でも支障なく使えています。



さて下りですが、降りるステップは膝のバネを利用し、膝に無理なショックがかからないように、とよく言われますが、これまでで足腰の疲労も極限に達しているので、思うように膝も動いてくれません。ですので、ゆっくり慎重に慎重に下ってゆきます。前回はどの道を通ったか全然記憶にないので、そこにも気を使います。

途中、伝説の、衛門三郎が最後の最後で弘法大師に会え、許しを請いだ、とされる「杖杉庵」に立ち寄りました。この庵はしっかりした休憩所でもあり、前出の沖縄から来たお坊さんはここで野宿したそうです。



前回はこの杖杉庵も見えず、車道を下りてしまいましたが、今回はその小さな駐車場の脇の遍路道を下りて行きました。ここから鍋岩までも長かったです。

すだち館の表は道路沿いにある土産屋で、入るとオーナーのおばぁちゃんがいました。ここは神山温泉への送迎付き、朝夕食付き、相部屋で4000円です。ここの宿泊所は通りの向かいをちょっと下りたところにあり、 ご主人が先に来たお客を温泉に送っているので、宿舎に荷物を置いて戻ってこいとのこと。

また、土産屋の向かいは大きな駐車場で、大型バスが来た場合ここで止めて、乗客はマイクロバスに乗り換え焼山寺に上がります。たまたまこの日は団体客が多かったそうで、土産屋が手伝いのおばちゃんも含め大忙し。結局夕飯の支度ができず、我々には宿代を1000円安くし、夕食は神山温泉で取ってくれとなりました。

そうこうしているうちに、ご主人のおじいちゃんが返ってきて、私ともう一人の方ふたりが今度は神山温泉へ。温泉までは 6.5㎞ あり、車でも結構な時間乗っていました。温泉では1000円分の夕飯を食えるのですが、私はご飯とおかずの食事は食いたくなく、720円だかのカレーうどんにしました。帳尻は少し得したことに。

温泉は熊谷寺手前の越久田屋さんが連れて行ってくれた日帰り温泉と同じようなところで、地元の方たちと一緒にゆっくり浸かりました。湯の中で隣の人がここへ一緒に来た人かと思って話しかけたら、地元の方で、徳島市内から来たそうで、距離は結構あるが、信号がほとんどなく短時間で来れる、てなことを言っていました。

宿に戻ると相部屋の人は目のギョロッとした足の速い方でした。焼山寺の登でも何度か会話を交わしたので、全然違和感もなくいろいろダベリました。2段ベッドの選択で、彼がすでに下の段に座って荷物の整理をしていたので、自動的に私は上の段へ。ゴロゴロ寝返りをうてば落ちる恐れもありますが、毎晩極度に疲れるので、爆睡になってしまいました。

Monday, August 10, 2015

Windows10 アップグレード後のトラブル



ここへきて初めてアップグレード後のトラブルに遭遇しました。

まぁ私のように超古い MS Office XP を使っているので起きたのだと思いますが、8.1 の時に Word で作っていた doc ファイルを開けようとしたら開かないのです。結局 MS Office XP をインストールし直したら動くようになりましたが、Windows XP 同様 MS はサポートしなくなったので、8.1 から 10 への移行をやらなかったんでしょうね。なんせ2001年の作品ですから。

それと同時に、改めて作った doc ファイルを UPS のラベルプリンターでプリントしようとしたら、プリンターの選択で古い HP の All-in-One のプリンターは出ているのですが、UPS のプリンター LP2844 が消えているのです。慌てて UPS のサイトからそれらしきドライバーファイルを落として実行してもプリンターとして現れません。

このプリンターは元が Zebra 製なので、Zebra のサイトへ行ったらドライバーがあったので、落として実行したら、プリンターのリストに出てきました。

皆さんは私のように超古いアプリやドライバーなんか使ってないと思うので心配はないでしょうが、こんなこともあったと言うことです。

Sunday, July 26, 2015

2巡目 第2日 05/13/2015 後編

宿: 旅館吉野
距離: 約 21㎞


グーグルマップ上の軌跡:



参道と言うのか、切幡寺の門前通りにやってきました。前回はここまで遍路衣装・道具の購入を我慢して、1番霊山寺の売店より安いと聞いていた、この通りの「スモトリ屋・浅野総本店」まで来て、全てを買いました。その時はこのお店にリュックを置かせてもらい、軽い身なりで切幡寺を往復しました。


去年讃岐国分寺まで同道させていただいた chico さんがここでは少し手前の表装屋さん「須見光栄堂」に荷物を預けたとか、それを気にして張り紙を探したり、ガラス戸を覗き込んだりしましたが、何のサインもないので通り過ぎようとしたところ、そこの女将さんだろう人が窓を開けて「荷物を預かりますよ」と声をかけてくれたので、「待ってました」とばかり中に入りリュックを置かせてもらいました。


身軽になったせいか、前回より涼しいせいか、切幡寺名物333段の階段を身軽に登り切りました。



この寺は本堂・大師堂と共にはたきり観音も勤行次第を唱えるのが良しとされるとか、次回来れる保証はないので、しっかりとやり遂げました。前回ははたきり観音自体も拝まずだったので、写真もばっちり撮りました。



さらに前回も上りましたが、切幡寺大塔に赴きました。この大塔は徳川家康が豊臣秀吉の跡継ぎ秀頼に命じて大阪に作らせたものですが、要は家康が豊臣家の財禄を減らすために作らせた感があります。そして明治に入り神仏別離で取り壊す憂き目にあったのを、どなたかがここに移築したそうな。全国にひとつしかない特異な作り方だそうで、切幡寺に来たら是非とも見てもらいたい建造物です。



またこの高台から見る吉野川平野は見ごたえのあるものです。


切幡寺 吉野の空に 遍路舞う


さて、切幡寺を後にしますが、そろそろお昼時。前回は法輪寺手前からしつこく見る「うどん八幡」の看板で、お遍路さんのほとんどがそうですが、私もゴキブリホイホイのように「うどん八幡」へ引き込まれて行きました。しかし、今回は12号線・撫養街道の交差点を「うどん八幡」とは逆の東に少し向かうと、食事処「やまじゅう」があります。大きな看板に「日替りランチ・680円」と書かれています。


「うどん八幡」だと暑い日は、つい、天ざるうどん・1200円ナリに手が出てしまいますが、「やまじゅう」の日替りランチは680円に税が付きますが、この値段で食いきれないほどの量と品数が出てきます。私はうどんとおかずで腹いっぱいになり、ご飯をほとんど残してしまいました。


「やまじゅう」を出ると12号を前の交差点まで出ずとも、ななめ向かいの細い道を吉野川方向に歩くと、また遍路道に戻れます。ここらあたりで、必ずできるであろう左足人差し指のマメはこの遍路出発からバンドエイドで防御していたのですが、予想に反して右薬指にマメの痛みを感じてきました。



運よく川の手前に、遍路地図には載っていない休憩所を見つけたので入ります。指を見ると出来立てホヤホヤのマメを発見。即処理をしました。そこにも落とし書きノートがあったので、タイミングのいい所に休憩所が設置されていることの感謝の念を書き記しました。



吉野川の土手を上がってみると広大な光景が広がります。そして日本一大きい中須・善入寺島に渡る潜水橋・大野島橋が見えます。日本三大暴れ川とは、坂東太郎(利根川)、筑紫次郎(筑後川)、そしてこの四国三郎(吉野川)で、過去にはこのどでかい中須がすべて水に浸かるほどの洪水があったそうです。そしてこの川が暴れると、欄干のある橋はことごとく壊されるので、流れに逆らう欄干をなくしてしまい、水位が上がると水没する橋を潜水橋と呼ぶようになりました。ただこれが高知に入ると沈下橋の名が付きます。しかしその区別は曖昧だとか。


この潜水橋・大野島橋を渡りだしますが、交互一方通行ですが車がひっきりなしに渡るので、避ける場所のない橋の上では肝を冷やしました。5年前の夏は全然車が通らなかったのに。



そして次の潜水橋・川島橋まで真っ平で畑ばかりの善入寺島を横断します。ここでも5年前の夏は日陰が全然なく地獄でしたが、今回はちょっと暑いものの前回と比べたら天国です。川島橋を渡り切ったところで、新しい地図にある「昔の渡し舟道」の名残があるだろう方向へ行くつもりが、最初を間違えたのか、土手の上を歩いていました。



そしてこちら側の遍路道をなぞっていくと、JR徳島線の下をこぐり交通の激しい192号線に出ます。道すがらこちらのルートでも昔からある石標がいくつかありました。そしてまた街道に出たところの休憩所で一休み。



さらに足を進め前回通った遍路道に入ります。そして11番藤井寺に到着。納経所ではボサッとしたおっさんはおらず、法衣を着たさらにお年寄りの方が納経をしていました。そのあと、藤棚の方へ回ってみましたが、勿論藤の花は終わっていて、脇にある紫陽花は色気のない蕾でした。


今日は「旅館吉野」にご厄介になります。現在では藤井寺の近く、つまり、12番焼山寺への登山口近くではこの吉野さんしかなく、他の宿は鴨島駅の方向へ数キロ行かなければならず、混み合います。だと思い、ロスを出る前にこの先の「すだち館」まで4軒予約を入れておいたのが正解でした。ここから先、同道する歩き遍路の方のかなりが、前日予約を入れようとしたが、遠くの宿に回されたと言ってました。


ここの吉野では、夕飯時他のお遍路さんと楽しい会話ができることが有名で、私はわざわざ海外から来たという理由で、さんざっぱら、話のツマにされました。以降、ここほど夕飯時盛り上がった宿はありませんでした。いや、もうひとつあった。19番立江寺そばの「鮒の里」でも盛り上がったが、あそこは宿の大将が話好きで、彼のリードがすごかったのかも。

そして遍路ころがしの前夜もふけていきます。

Saturday, July 11, 2015

2巡目 第2日 05/13/2015 前編

宿: 旅館吉野
距離: 約 21㎞

グーグルマップ上の軌跡:
https://drive.google.com/file/d/0B6fXJOKFxm31NmZqQS1wRWNaR3c/view?usp=drivesdk

越久田屋さんでは日本慣れした変な外人(アメリカ人)ひとりと、初回順打ちの初老の人、何度も回っていて今回はお礼参りで戻ってきた私より年上かも知れない人、そして私の4人。

朝、外人はどうしているか聞きませんでしたが、他のふたりはすでに出立、私が出る時、ご主人が外へ出て道に出るまで見送ってくれました。見送ってくれたことに感激してスマホのアプリ My Tracks をオンにするのを忘れてしまう。

ここから熊谷寺までは山門を通るがシンプルで最短の道を調べ上げていたので、スタスタと歩き出し始めます。天気は台風一過快晴です。土成ICの前まで来て、アプリを付け忘れていたことに気づき慌ててオンにします。どういう訳か宿を出立するときは興奮しているのか、忘れがちなんですよね。

私の選んだ道は簡単で、土成ICから高速の南側の下を真っ直ぐ行くもので、人も車も全然通りません。突き当たったところを右に回り高速の下をくぐり、そのすぐの道を左に折れると、遍路地図通りで来る人と正面から会うかたちで山門への道に入ります。

ここの山門は車で来ると見ることすらなく、歩き遍路さん専用のようで誇らしげに感じます。また、八十八ヶ所の山門では一番高く大きいようで、非常に立派に見えます。

熊谷寺は階段の途中に中門があり、上まで上がると修行大師像が迎えてくれます。このお大師さん、晴れていると菅笠の影で顔が見えず、私を睨んでいるのか、やさしい顔で迎えてくれているのか全然分かりません。5年前はお大師さんの前のベンチで、暑さですでにグタッとなり休んでいると、お大師さんが「まだ朝も早いぞ、そんなところで休んでいていいのかっ」と怒られているような気がいしました。その時詠んだ句が、

蝉しぐれ 先を急げと 熊谷寺



参拝の後はまた山門を潜り9番法輪寺へと向かいます。この辺から来る人去る人何人かとすれ違います。高速から民家の間を歩きますが、それが切れるあたりに自宅を美容室にしているきれいでモダンな家がポツンと建っていますが、今は営業してなさそうですね。その先はずうっと畑や田んぼが続きます。



法輪寺は田んぼの遥か彼方から見えてきます。そんなムードで境内に入るので、中ものんびりした感じを受けます。納経してくれるお方も落ち着いていらっしゃいました。納経所の外の休憩所で一服。靴と靴下を脱ぎ足を乾かします。

さて、そこから先、前回は逸れそうになったので、注意深く歩きます。特に3番目の曲がり角だったかな、環境省の「四国のみち」のしっかりした道標が左へ行けと、しかし小さな遍路の案内が右を指しています。それまでは「四国のみち」も遍路道も方向がいっしょだったので、非常に迷う所です。

途中、小豆洗い大師が見えてきました。何々大師と名の付くものの中には、下手な八十八ヶ所の寺より大きいものから、小さな祠や道端の地蔵みたいなものまであります。ここは小さな祠ですが瓦の屋根の付いた建物になっています。5年前はここまで来て、足の大方の指にマメができ、歩いていて痛くて痛くて堪らず、裏の日陰に回り、全指にバンドエイドを巻いた所です。そのような曰くつきの場所だったので、お蔭様でまたここへ来ることができました、と、お寺でやる読経を一通り唱えました。

また、通りの向かいは我が家の菩提寺系である浄土真宗「円光寺」なので、中まで入り「南無阿弥陀仏」を唱えました。

それもこれも今回は本当に「余裕」で、寄り道して時間を割くことができています。

続く、

Tuesday, June 30, 2015

2巡目 第1日 05/12/2015 後編

宿泊: 越久田屋 素泊りのみ 4,200円(聞いていた4,000円より上がっていた)

犬のいない愛染院の山門から出て、林や田んぼ道を通り、広域農道を横切り、また農地や多少傾斜のある林などを通り抜けると、34号の車道に出ます。さらにその緩やかな上りを歩くと4番大日寺の広い駐車場が見えてきました。5年前の7月24日はここまでで暑さのため1日のエネルギーを使い切った感がありましたが、この日は昼まで時間もまだたっぷりあり、余裕の体です。



境内には歩き遍路さん、車遍路さんがすでに複数おられました。大日寺さんも滞りなく終え来た道を下っていきます。途中1番から歩き出した方達でしょうか、何人もの人と挨拶しながらすれ違います。そして高速の下で34号から右にそれますが、前を歩いていた4人ほどのお遍路さんは話に夢中だったのか、案内標を見過ごし34号を降りて行きました。でも五百羅漢でまた一緒になるんですけど。

前回は暑さのため時間と心に余裕がなく、五百羅漢は自動的にパスしましたが、今回はじっくり眺めていこうと200円を払って中に入ります。外にある羅漢像はすべて石像ですが、ここのはカラフルな木像です。どちらも共通していることは像ひとり一人の表情が豊かなことです。ただ人工の照明はなく、建物の隙間から漏れる外からの間接光だけなので、一人で見て歩いたら怖いものがあるかも知れません。


そして5番地蔵寺は五百羅漢を出た後、脇の墓地から地蔵寺の脇へと入っていきます。ここが1番から来ると初めての広い境内と仏閣になります。そして地蔵寺の山門を出ると左に民宿「森本屋」さんがあります。ここも改築したのか表側は非常に感じのいいものとなっています。またその先に今度はアパートみたいな廃屋があります。ところがこのアパート、高さはまぁまぁあるものの、部屋の大きさが人の住めるサイズではありません。日本の家屋は小さいといってもこれは極端です。ずいぶん前から「売り」の看板が出ていますが、造ったはいいが最初から売れていないのではないかと思います。

そして再度12号線の脇へと出ます。ここを少し1番方向へ戻ると、食事処「源水」があり、12時前後ならここで昼にしようかと考えていましたが、まだ11時半前、先に進み「小柿休憩所」から12号の方へ出たところにセルフうどん「たいせん食堂」があるので、そこまで足を延ばします。

実は「セルフうどん」と言うお店は初めてで、恐る恐る入ってみましたが、流れとしては、最初にトッピングを皿に取り、次にうどんの種類を言うと、そこで金額が合計され支払うとなる仕組みなんですね。うどん自体は250円から350円ほどなんですが、私は海老天1本と野菜天ぷらミックスをとったので、700円+になりました。まぁまぁ旨かったです。

うどん屋を出たあたりから、ポンチョを羽織らないといけない雨になったので、ポンチョと足カバーのレインチャップスを身に着けます。この雨は5月にしては珍しい大型台風が本州の南海上を通過しているらしく、午後が進むにつれ雨脚が激しくなってきました。

次のお寺が6番安楽寺。ここの竜宮城のような山門は鐘楼も兼ね、2階にキリスト教みたいな鐘が吊るされています。そして鐘の周りの床は2、3人が寝られる広さがあり、野宿遍路はここで寝泊まりするそうです。その情報を外国人が集まるフェイスブックのお遍路グループで知り、どんなものか上がって調べてみました。

参拝の後、まだ時間がたっぷりあるので、鯉が泳ぐ日本式の回遊庭園を見たり、山門脇のお土産屋で美味しいコーヒーを飲んだりしました。そして今日最後のお寺、7番十楽寺へと向かいます。もう雨はザーザー降りです。

十楽寺の大師堂では、右側の屋根から雨が滝のように流れ落ちているので、それを避けて階段を下りました。手前の安楽寺とこの十楽寺には宿坊があります。今回のこの近辺の宿泊ではこれら宿坊と民宿「いしだ」それにちょっと先の素泊まりオンリーの「越久田屋」を候補にあげましたが、両宿坊は値段がかなり上がりちょっと気が引けたので止め、民宿「いしだ」は5年前と去年のお礼参りで泊まったので、今回は「越久田屋」に決めました。

この越久田屋さんは素泊まりのため、夕食と入浴のため近くにある天然温泉「御所の郷」への送り迎えと翌日の朝食購入のためコンビニまで行ってくれます。またここの大将はお遍路に詳しくいろんなことを教えてもらえます。

この日はスマホのアプリ My Tracks が動かなかったのか何かで、歩いた記録がありません。2番から越久田屋まで約19㎞ぐらいだと思います。2巡目でもあり、「勝手知ったる我が家」じゃないが、険しい山道もなく、寺数が多く雨だったとは故、19㎞は余裕でした。

Saturday, June 20, 2015

2巡目 第1日 05/12/2015 前編

宿泊: 越久田屋 素泊りのみ 4,200円(聞いていた4,000円より上がっていた)


前日の宿たる極楽寺の宿坊に関して、

以前から聞いていた午後5時までにチェックインは、本当にそうらしく、聞いてみてそれを確認しました。なるべく5時までに入ってくれとのことです。

ただ私が着いた時間は充分早く、まず荷物を置かせてもらって参拝に出ました。宿坊の玄関と団体客用の納経所とは隣り合わせで、個人用の納経所は山門に近いところにあるようです。

一通り参拝を済ませ、長命杉、仏足石、願掛け地蔵等をゆっくり眺めてから宿坊に戻ると、その時間団体の納経はなく、その場で若いお坊さんが納経してくれ、玄関に回ると明日立つまでの宿坊での段取りを説明してくれて、明日朝の勤行は6時からだが5時50分にこのロビーに集合で、6時半から朝食であると伝えてくれました。

私のもらった部屋は小さいですが、きれいに整えられ、茶に菓子セット、テレビまでありました。寺名入りのタオルは後日使うので、使わないままちゃっかりリュックにしまいました。


夕飯は1階の食堂で、イスとテーブルなので私みたいなまともに畳の上には座れない者にとってはありがたかったです。お遍路さんを歩きや車でまとめ、テーブルの上に名前が書かれた札がのっていました。よってそばの人とは話がよく通じました。食事の内容は宿坊ということもあり期待はできません。メインのディッシュも出す直前に作りあげたものではありません。でもバランスよく食べられれば結構。



第1日目

朝は、案の定、3時半頃に目が覚めてしまいました。で、4時半頃までウトウトと。でも昨晩は9時ころ寝たので寝不足感はなし。幸い他の部屋の音は聞こえず、こちらの音もとどかず、ゴソゴソと出発の準備を始めます。特に菅笠のあご紐と金剛杖の取っ手の部分は向こうから持ってきたロープでしっかり作りました。


朝の勤行のため言われた時間に1階のホールへ。皆さん、しっかり集まっていました。そこから長くかなり上の本堂へ。ご住職さまから経と法話をいただきましたが、15分くらいで終わり、また皆はゾロゾロと1階の食堂へ。

私は7時ころ宿坊を発ちましたが、早すぎたのか境内には外から誰も来ていません。この寺から次の3番金泉寺へは来た時のように駐車場を通って12号線には出ず、山門を出てすぐに右に行きます。霊園の中を通り林を抜けると12号から入る脇道に出られます。


この辺から古い民家が立ち並んだ撫養街道から北の生活道路となり、そこそこ歩くと、車道から右に入り遍路専用道となります。入り口には「ここから金泉寺」ともなっています。前回は完全な田んぼのあぜ道で緩かったのですが、今は石畳の板がしっかり置かれて歩きやすくなっています。


3番金泉寺でもしっかりと経を唱えます。以前の1回目区切り打ちでは般若心経だけでした。2回目の区切り打ちで宿毛から一緒になったお方が、経は皆で合わせて唱えましょうとのことで、開経偈から始まり、廻向で終わることを教わり、それ以来私もフルで唱えるようになりました。

金泉寺からそこそこ歩くと右が運河のような川の道になります。その途中の左にある廃屋がまだ壊れずに建っています。最初にこれを見たとき、なぜこんな危険な状態のまま放っておくのか不思議でしたが、5年経って、なくなった部分もありますが、まだ建っています。アメリカ、少なくともロサンジェルスではこれは許されません。土地の所有者が壊さない場合、市政府が強制的に壊し、土地所有者に費用を請求します。この町と限らず、四国のそこここで放ったらかしの廃屋を見かけます。景観のいいものではありませんね。


遍路道も高速の下をくぐってしばらく歩くと右に道がそれ、農地へ入り丘程度の山道になります。そこを進むと金泉寺の奥ノ院「愛染院」を正面の山門ではなく横から入ることになります。その手前から年配の男女グループと一緒になりました。彼らと愛染院で用意されたインスタントコーヒーやお茶のお接待を受け、二、三言葉を交わしました。皆さんほとんど遍路衣装は着ておらず、遍路道を中心にハイキングをしているそうです。この愛染院では筆でなく刷毛で書いた納経をしてくださるとか、私はあまり興味がないのでそれはパスし、山門から立ち去ろうとしたとき、確か5年前この山門には歳を取って寝っぱなしで、人の行き来には全然興味を示さない老犬がいたことを思い出しました。しかし今はその姿がなく、もう亡くなったのかなと感じました。

続く、、、

Thursday, June 11, 2015

2巡目 第0日 05/11/2015

今回は遍路地図にない特殊な道を歩いた分から書いていくつもりでいましたが、そうするとそれ以外の物語を忘れてしまうのではないかと思い、毎日順序だって書いていくことにしました。

前日の宿泊: ファーストキャビン(羽田空港、素泊まり-5,000円)

宿泊: 第2番極楽寺・宿坊 1泊2食  6,300円(不正確)


この日を第0日目としたのは、当初、この日は移動日として丸1日残し、第1番霊山寺参拝手前までと考えていました。しかしいろいろ検討した結果、この日は2番極楽寺の宿坊に泊まることとし、素早く飛行機で徳島空港に来たものの、時間がたっぷりあり、昼夜逆な日本時間にできるだけ体を合わせるため、残りの時間で体を疲れさせようと、無謀にも空港から1番まで(結果は2番まで)歩くことを決めました。

また今回は徳島空港の住所である松茂町に住む友人に、遍路用品などをオンラインで購入し、一部はアメリカまで郵送していただいたりしたので、お礼にと安いものですが、徳島ラーメンをおごるため立ち寄りました。

空港から極楽寺までの足取り

上記のリンクで、最初の画鋲から次の白◎あたりまでは歩いていません。今切川の南側にあるラーメン屋さんへと、そこから白◎あたりにあるスーパー「キョーエイ松茂」までは車で送ってもらいました。

スーパー「キョーエイ松茂」でチャッカマンと線香を買ってからまた歩き出し、途中、住宅街、工場群、運河、農地、田んぼ、などを通り、懐かしい坂東駅には南側から歩いて入り、そして1番へと向かいました。

1番さんは去年も来ているので、それほど感激もなく一通り参拝を済ませ、納経所を探すと、場所が東側の大きな駐車場にあるお土産屋の中に移ったそうで、そちらへ向かい、最初の御朱印だけをいただきました。これには300円も払っているのに、プチ感激をしました。死ぬまで何度でも札所を回るつもりですが、これからは判子だけです。でも遠くからはるばる来ているので、私にとって300円は十分価値があります。

そして2番へ。この撫養街道は交通が激しく好きではありませんが、向こうからメガネをかけた女性遍路さんが来ます。すれ違いざま、念のため「あれ、逆打ちですか」と尋ねたら、1番の近くに宿を取ったんだけど、時間があるので2番もお参りしてきたんだとか、なるほどとうなずく。

2番極楽寺の宿坊は午後5時までにチェックインを済ませろと聞いていたのですが、参拝も含め5時までは十分余裕で着きました。

宿坊に入る時点から先は次の日に回させていただきます。

この日は計画時点で道はしっかり調べていたものの、遍路道のように標識が全然なく、早めにスケジュールを消化したいので、歩く途中心に余裕がないのと、風が強くて菅笠をおさえることが多く、写真は一切撮れませんでした。

Sunday, May 31, 2015

本気で Google Blogger を使おうかな

今までは、Ameblo だか Ameba を使っていましたが、勉強不足なのか文字の大きさやフォント、それに写真の挿入の仕方がイマイチ分からないので、この Blogger を試してみようと思っています。

まずは事始め、、、

5月の後半、四国へお遍路に行ってきましたが、自分でアレンジしたルートなどをブログにしようと考えています。まずはこれだけ。